音楽ほど人間の心に直接働きかけるものは少ない。元気な音楽は気持ちを高揚させ、静かな音楽は気持ちを落ち着かせ、また葬儀のときの悲しい音楽は大切な人を失った悲しみを深くする。組立て工場にリズミカルな音楽を流したところ、生産性が上がったという実験効果もある。突撃ラッパの音は兵隊の気持ちを鼓舞する。単調な仕事をしている場所にBGMを流すのは、単調さからくる生産性の低下を防ぐためである。産婦人科医や歯医者では、不安や痛みを和らげるために音楽を流す。「ミュージックセラピー」という音楽療法は、ベトナム戦争以後戦争から帰還した兵士の治療に多用された。精神科医のロザノフは、次のように音楽の力を認めている。
五感の中で、人間がこの世に生を受けて最初に伝わるのは音である。赤ちゃんが最初に聞くのは母親の心音であり、妊婦に毎日同じ音楽を聞かせていると、生まれた子供は泣いていてもその音楽を聞くとおとなしくなるという。赤ちゃんは火を見ても怖がらないが、消防自動車のサイレン音を聞くと驚いて泣き出す。人は先ず聴覚から発達することを裏付けるものだ。教会で賛美歌を歌うのは何故だろう。歌詞は教会で牧師が話す説教と同じである。言葉は人間の左脳で理解されるが、メロディは右脳に入って感情を揺るがすために、理解したことが即行動に移りやすいからである。
米国の心理学者ガリジオとヘンドリックは反戦歌のような思想性の強い歌詞を、朗読して聞かせた場合とメロディを付けて聞かせた場合の実験を行った。その結果、言葉だけよりもメロディをつけた場合の方がはるかに効果があることが分かった。ワールドトレードセンター同時多発テロ事件の後、米国では星条旗が至る所に掲げられた。人々は機会あるごとに「第二の国歌」と呼ばれる「God Bless America」を歌い愛国心を高揚させた。このように音楽は群集心理を一つの方向へ導くのに大きな効果をもつ。
売り場のBGMは、購買金額をアップさせる手段としてよく使われている。お客の気分を良くし、ゆったりと買い物をさせたり、財布の紐をゆるめる効果があるからだ。音楽は理性でなく直接感情にアピールするため、顧客の感情や情緒を刺激して購買欲望を喚起するのだ。実際の例として、スーパーやホームセンターを展開する某小売業のBGM活用テスト結果が下記の通り報告されている。売上げ、来店客数そして客単価においても非常に良い結果が出ているのが分かる。
【BGM効果のケーススタディ】
項目 | BGMの効果 |
一日の売上 | 36%アップ |
平均来店客数 | 16%アップ |
客単価 | 18%アップ |
BGMを効果的に活用するためには、使用する音楽の種類を選択しなければならない。
ある調査によると、ゆっくりした音楽はお客の歩くスピードを緩め、テンポの早い音楽よりもお客一人当たりの売上げ増につながったという結果が出ている。但し、余りゆっくりし過ぎる音楽は、店内の活気を無くすので、気軽な買い物をする店には向かない。歌詞の入った音楽は、声が聞き取りにくくなるため、音の混在を判別する機能が落ちてくるシニア客が多い店では避けたほうが良い。このように音楽には強い影響力があるので、自店に合ったBGMを流す工夫が必要だ。店に合ったBGMを選択するには、テンポ・音の高低・振幅変調が人々に与える影響等ついての理解が大切だ。
店に合ったBGMを選択
項目 | 人間の感情 | |
テンポ | 遅い | 落ち着き・悲しみ・退屈・不快感 |
速い | 活動・驚き・幸福感・心地よさ・精力・恐怖・怒り |
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音の高低 | 低い | 心地よさ・退屈・悲しみ |
高い | 活動・驚き・精力・怒り・恐怖 |
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振幅変調 | 小さい | 不快感・怒り・恐怖・退屈 |
大きい | 幸福感・心地よさ・活動・驚き |
客層によるBGMの選択の重要性について触れたが、若い人にはヒットポップス、女性にはムードミュージック、中高年には静かな音楽が求められる。癒し系の店では、小鳥の声やせせらぎの音など自然の音を取り入れたBGMが合う。注意しなければならないのは演歌だ。恨みつらみの曲が多い演歌は楽しい買い物の気分を無くす危険があるからだ。
季節の音楽を取り入れることもシーズン商品の販売に役立つ。クリスマスソング、お正月メロディ、ハワイアンミュージックなどである。
におい分子は鼻の奥の粘膜に付いてから脳に信号が送られる。そして記憶とにおいは脳の同じ場所で処理される。そのため目で見るより香りの方がより速く記憶を呼び起こす。「においは形の無いPOP」とも言われるのはそのためだ。
良い香りは人間の心をおおらかにし、衝動性を高める。米国のある心理学者が、ショッピングセンターを歩く人に1ドル借りるという実験を行った。通路にコーヒーの良い香りが漂っている場所で借りようとしたら、半数以上の人が貸してくれたが、香りの無いところでは2割程度の人しか貸してくれなかったという。食べ物の味は目隠しされても味には変わりない。ところが、鼻をつまんで食事をすると途端に味が落ちる。パン売り場では焼きたてのパンの香り、花屋では花の香り、果物売り場では旬の果物の香り、化粧品売り場ではフレグランスの香りなど、人間が好むにおいや香りを積極的に活用すると、お客の購買促進につながる。
香りには次のような効果がある。
香りや匂いには人間の記憶が伴う。例えば、私が昔シアトルで子供のキャンプにライフガードとして参加したとき、毎朝食堂にはマックス婦人が入れたコーヒーの香りがしていた。今でもコーヒーの良い香りはその時のことを思い出させる。また魚やパンを焼いているときのこげたにおいは、焼いていることを思い出させて火を消すという行動に駆り立てる。
コーヒーの香りをかぐと「おいしい」イメージが湧く。香りはまさに「形の無いPOP」なのだ。多くの百貨店ではフレグランス売り場を入り口に近いところに設置し、デモ販売の女性がフレグランス試嗅をさせているが、フレグランスの良い香りで消費者の美に対するイメージを高め、フレグランスのみならず化粧品の販売を促進する効果を狙っているのだ。焼き鳥屋のおいしそうな匂いは食欲をそそり顧客を店に運んでくる。
好ましい香りは気分を良くし、ポジティブなムードにし、幸せな思い出や記憶を呼び起こさせる。購買行動においても、好ましい香りのある店舗では、お客の滞店時間が大幅に伸びる。「アロマセラピー」という心理療法があるように、香りによって人間の気分はリラックスする。人間がリラックスしたときにα波が出るが、これを一番出させる香りが森林の香り、2番目がコーヒーの香りだ。最近の米国のスーパーマーケットは、コーヒーカウンターを設置して顧客がコーヒーを楽しめるようにしているが、これは顧客をリラックスさせ財布も一緒にリラックスさせて買い上げ金額を上げる戦略でもあるのだ。スターバックスコーヒーの店内はおいしそうなコーヒーの香りで満たされている。その香りを大切にするために、店内は禁煙にしている。注意しなければならないのは、香りは販売している商品とマッチしないと、違和感が生じて敬遠されることだ。嫌なにおいは当然人を不快にさせ、店から足を遠のかせる。
ケーキ売り場の隣でコーヒーの焙煎(売り場同士の相性)をすると、人々はケーキを食べながらコーヒーを飲んでいるシーンを想起し、ケーキを購入した人々は関連してコーヒーを購入する確率が高まる。シアトルのホールフーズマーケットのデザートコーナーでは、焙煎したての香りの高いコーヒー豆を樽型の什器に陳列し、デザートとコーヒーの関連陳列を行っているのはそのためだ。
プロフィール
Excell-Kドラッグストア研究会(http://www.drugstore-kenkyukai.co.jp/)、Excell-K薬剤師セミナー、及びExcell-Kコンサルティンググループを率いる流通コンサルティング会社Excell-K(株)ドムス・インターナショナルの代表者。小売業、卸店、メーカーに対するコンサルテーションをはじめ、講演、執筆、流通視察セミナーのコーディネーターとして活躍。特にドラッグストア開発、ロイヤルカスタマー作り、シニアマーケティングのための実務と理論に精通し、指導と研究では第一人者。年間半年を米国で生活し、消費者の目・プロの目を通して最新且つ正確な情報を提供しながら、国内外における視察・セミナー・講演を精力的にこなす。
日本コカ・コーラ(株)、ジョンソン・エンド・ジョンソン(株)を経て独立('90)。慶応義塾大学卒(法学)、ミズリ―バレーカレッジ卒(経済)、サンタクララ大学院卒(MBA)。東京都出身。
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